2012年07月11日

連帯

YOSAKOIチーム「乱翔舞」の第二回目の合同リハーサルも無事終わり・・・
なんとなく形が見えてきましたぴかぴか(新しい)
いつも出だしが遅い!というか、エンジンがなかなかかからない我がチームですが(苦笑)やっと調子を上げてきたように思います♪

あとは、残り少ない時間でどう皆さんが演舞に磨きをかけ追い上げてくるのかにかかってますが、今回も私達ができることを最大限努力し、精一杯披露するだけ!!ですねるんるん

これまで私達は、神話を伝えると共に、口蹄疫や東日本大震災の復興を願った演舞も披露してきました。
結成当初は面白半分興味半分で結成したチームでしたが、成長するにつれ、チームの目的やカラー・個性もはっきりしてきました。同じ思いと気持ちで繋がったメンバーがチームとなり、自分達ができる役目を探るようになりました。
と言いましても、基本は好きだから!楽しいから!やってるのですからね。
自然体で出来てるだけなので、考えたら不思議な集団ですよね。

自然と見えないもので繋がっている・・・それが「絆」だとしたら、口蹄疫や東日本大震災以降、あちこちで連呼されるようになったイベント的な「絆」には多少違和感を覚えます。
なので、あえて私達は自由な意思の「連帯」で繋がったチームだと言いたいですね〜。


ある著名な方がこんなコラムを書いていました。参考にどうぞ♪
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「絆」には、二つのとらえ方がある。家族や友人を失い、家を失い、あるいはお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷につなぎとめるもの。個人がそうした「いとおしい束縛」に対して抱く感情を「絆」と呼ぶのなら、これほど大切な言葉もない。しかし「ピンチはチャンス」とばかりに大声で連呼される「絆を深めよう」については、少なからず違和感を覚えてしまう。
絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか。

つながりとしての絆は優しく温かい。利害や対立を越えて、絆は人々をひとつに包み込むだろう。しかし、しがらみとしての絆はどうか。それはしばしばわずらわしく、うっとうしい「空気」のように個人を束縛し支配する。たとえばひきこもりや家庭内暴力は、そうした絆の副産物だ。もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。批評家の東浩紀氏が言うように、本当は絆など、とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。その上で私は、束縛としての絆から解放された、自由な個人の「連帯」のほうに、未来を賭けてみたいと考えている。
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また、D夫人のブログで「真の絆とは何かを問う」という内容で書かれてありました。
良かったら皆さんも一緒に考えてみてください。
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11190378145.html


なんだか難しいですが・・・
重く深い意味のある言葉は軽々と使わない!というのが私の持論です(笑)。
なぜなら、突っ込まれたらよくわからないからです。

代わりに「連帯」いいですね〜揺れるハート
「踊り連」の「連」は言葉の意味からいっても納得がいきますね。

そろそろ私達も「連」を使う名前にリニューアルしようか?
チームも10周年迎えちゃったからそれも良いかぁ〜!

あー、なんだか全然まとまりない内容ですみませんあせあせ(飛び散る汗)

日本語って難しいですな〜。


posted by D.O.C at 00:39| 宮崎 ☔| Comment(0) | 乱翔舞日記〜祭魂な人々2012〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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